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佐村河内守氏についての報道を見ていて色々と思うところあり。

メディアでは「ゴーストライター」とか「偽聴覚障がい」とか、いかにも面白がられそうでスキャンダラスな言葉が飛び交って、
それに乗っかるように批判的な意見も多々見られるけど、
俺としては「そんなに全力で批判すべきことなのか?」と。


佐村河内氏が書いたという「指示書」を見ただろうか?
そこには一切の音符は無くて、むしろDTMソフトの編集画面のようにタイムライン上に図形が書かれていたり、色や感情のイメージが書かれているものだけど、
これを以って「一般的な楽譜が書けない人は、作曲者として偽物」と思ってる人にこそ、ものを作り出す方法とか感覚に対する認識不足を感じる。


例えば、俺が所属する武尊のこと。
その作曲プロセスは、誰かが基本的な骨組みとなるテーマなりリフなりを持ってきて、そこに肉付けしていくんだけど、特にリーダー小玉氏から発信のものが不思議なのだ。

「もっと青っぽく」とか「ここで雨を降らせてくれ」とか「日々が延々と続いていく感じ」とか、音楽というよりは文章とか絵を描くような感覚の作業になる。
これを「心象風景の具体化」と呼んでいるんだけど。

事前情報もなく突然始まるセッションなので、当然ながらそこには楽譜も指示書らしきものも存在せず、
大まかな指示以外は「各々、心の赴くままに」という、ザックリどころか放し飼い状態。
フリーダムにも程があるなwww

ときに作業の中で想定外の方向に向かうことがあっても、ネタの提供者が良しとする場合は軌道修正せず続行され、全員でのブラッシュアップにより曲が完成する。
CDなどのクレジットに載る「作曲者」とは綿密な楽譜を書いた者ではなく「作業開始のGOサインを出した監督者」を意味する。

他のバンドがどうしてるかは分からないけど、これが武尊の作曲メソッドであり、
実験的取り組みでもなんでもなく、日々当たり前に行われている、我々なりの確立した方法論なのだ。


ゴーストライターであることを告白した新垣隆氏曰く、
「佐村河内氏は0から1を生み出す才能に長けていた。私はその1を10にすることができた」と。

それって、バンドなんかやっているとそんなに特殊な構造じゃないだろ?
俺たち、もっと微妙なバランスだけど成立してるぜwww


佐村河内氏の不幸な境遇が事実であったとしても、一個人としての宣伝材料にすべきではなくて、
藤子不二雄みたいに最初からプロジェクトとして企画して、金も名声も二人で公平に分ければ良かったのに。

音楽でも文芸でも、ゴーストライターなんて過去にも当たり前にあったことだし、ましてや共作なんてブラックでもなんでもないじゃない?

街頭インタビューに対して「裏切られた気分です」「ガッカリしました」とか答えてる連中も甘い。
音楽そのもの以外の部分に変な付加価値を期待せず、純粋に音楽を楽しんでいるなら「騙された〜(笑)」で済むはずなのだ。
佐村河内氏の失敗は、そんな最後の「ドッキリ大成功!」の看板を用意できなかったこと。


本来はアウトプットされた音や文章そのものが本質。
だけど、商売にするなら背景や日常も含めて商品にするよう、徹底して企画しなくちゃね。